ネコと魚の間には

不器用人間がまっすぐに生きるために日常の出来事に考えを巡らせるブログ

きっかけは他人のなかに、答えは自分のなかにある

気持ちを言語化することは、マイナスな気持ちの時ほど、重要なことだと思う。マインドフルネス(瞑想)がストレス社会でにわかにブームになっているけど、しんどいとか悲しいという気持ちを無理に押さえる必要はなくて、その感情を最後どこの引き出しに直すかが肝心で根本的なことかなと。僕の場合、元来に思考のアウトプットが下手で、ずっと同じことを繰り返して悩み続けていることが多い。そのような状態になったときは、小説を読み、ストーリーのなかに自分の気持ちを言語化してくれている一節が見つかるとほっとする。少しずつ自分の言葉で伝えられるようになりたいけど。

 

そんな僕だが、稚拙な考え方しかできないのに頑固な性格であると自覚するようになったからか、小説以外の本をかじるようになったからか、どうも今のまま(考え方とか色々な状況)では折角の今この時間が肥しのままになってしまうと思うようになった。今の今まで「人の役に立ちたい」と思ってやってきたのに、世界は自分の無関係のように回っているし、今の自分ができることは自己満足と表裏一体で、結局自分が可愛いのレベルで自己矛盾。

 

ではどうしたいのか。テーマにしたいのは、「生き生きと活動したい!」と「スマートにきめたい!」になるような気がしてきた。でも過去の自分を否定するわけではなく、組み替えて整理する(客観的に、かつ直視して)。そのようなことをしていると、新たに、「興味があることに長く携わりたい」から「自分の能力を活かして分野を問わずアウトプットを生み出す」、「強みと興味で人よりも前を行く」から「まわりをつなげて活かす、生み出す」へ生き方がシフトしていっているような感じがある。公私含め環境変化を柔軟に受け入れることと、その環境で「自分」を企画できるようになろうと思います。まずは日常の仕事からできることを実行、継続する。

 

取り留めもなく書きましたが、そんな風に考えた近頃の夜でした。

2017年6月第5週・7月第1週

雨と雨の間に差す日差しが力強く感じられる週だった。もう梅雨明けかな。

 

今週は会議と発表が立て続けにあって、業務をつつがなくこなしたけど、得るものは特になく疲れただけだった。性格や言動や仕事の仕方も何事もかもが無茶苦茶な上司との関わるのに限界を突破し、エントロピーはもはや無限大。それでもある種のプロ意識で、何とかアウトプットの質を維持している。このところ気が進まないので、職場関係の飲み会の誘いを、同期も先輩も同窓会も含めすべて丁重にお断りしている。無論、親友の気分転換にはどこまでも付き合うのは変えていないが、そっちも断ることは避けたい。

 

週末は趣味のアクアリウムの水槽をメンテナンスしたり、ベランダの植物の植え替えをして、テレビで放送されていた映画「容疑者Xの献身」を観て過ごした。今週も銭湯でサウナを3分×4セット。前回程苦しくなく、身体が慣れてきたようだ。

 

料理は肉じゃが、フレンチトースト、スパニッシュオムレツ、ハッシュドビーフを作った。木曜日には北新地にあるパン屋で食パンを買って、フライパンで焼いて食べたり、父の日帰り旅行のお土産の柿の葉寿司を食べた。

 

www.lesucrecoeur.com

自分の足で立つ生き方

僕が料理を趣味にしている理由は、その料理がどのようにしてできているか、材料や工程、調理技術、文化に興味があるからであり、自分で作る経験をすることで理解ができると思うからだ。そのため、おもてなし料理にはこだわるのだけど、自分の弁当になるとカロリーを簡単に摂取出来て、作るのに時間がかからないおにぎりだけになってしまうのと、次々にメニューを変えるので基本的な技術は向上していない。それでも、いつか自分の趣味を活かしてカフェやバーのような店を持ちたいと構想を練っている。

 

食はとても興味深いテーマであるが、よしもとばななの代表作「キッチン」は食より悲しみとの向き合い方がストーリーの本質である。本ブログでは、この作品に限らず基本的に紹介する小説の内容の解説はしないが、この作品を読んだ時、これから先に必ず必要なことを教えてもらったような気がしたので、自分の心に留めておく意味でも、一節を引用して書き記しておきたいと思う。

 

つらいこともたくさん、あったわ。本当にひとり立ちしたい人は、なにかを育てるといいのよね。子供とかさ、鉢植えとかね。そうすると、自分の限界がわかるのよ、そこからがはじまりなのよ 

 

人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当にすてらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。 

 

世界は別に私のためにあるわけじゃない。だから、いやなことがめぐってくる率は決して、変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくしたほうがいい、って。 

 

また、あとがきに著者の作品への想いも記されている。

 

「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。そのためには甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい。多少の工夫で人は自分の思うように生きることができるに違いない 」という信念を、日々苦しく切ない思いをしていることでいつしか乾燥してしまって、外部からのうるおいを求めている、そんな心を持つ人に届けたい。

 

この想いは、映画監督の宮崎駿が引退するときに、記者からすべての作品を通して伝えようとしたメッセージは何かと問われた際に語った、「この世は生きるに値するんだ」ということを自分たちの仕事の根幹になければならない、という答えに通じるものがあるように感じている。

 

悲しみも含めて自分の人生なら、自分で自分の人生を想いを込めて生きることができるかどうかが、日々問われているのではないだろうか。

 

 

 

キッチン (新潮文庫)

キッチン (新潮文庫)

 

 

心の構造

視覚は状況判断に的確な情報を与える。その情報でどのように判断するか、社会とつながるかは個人の価値観であるが、容姿や身体の状態で社会的な疎外感・不安を持つ人は少ないないと思う。僕は容姿でからかわれるのは昔から日常のことであるけど、この年齢になり言われた時は愛想笑いでいれるようになっても、未だに心は温度が下がり、人との距離感が無限に広くなるような感覚になる。でも、やせたねと心配してくれる人もいるように、それが全てではないことを知り、その言動で立ち止まることはなくなった。

 

心のケアは今の日本の医療体制やインフラのように充分に整備されているわけではない。学校のいじめは絶えないし、激務を美徳とする労働、終末医療など様々な場面で、もし弱い自分を認め、支えてくれる人がそばにいれば結果が違ったかもしれないと思うのだ。自分の周りに、かけがえのない存在がきっといる。人を想い合うことが当たり前になればいいのに。僕ももっと心の構造を理解すれば何かできることが見つかるかもしれない。

 

人の心は、大人になっても成長する部分でもある。自分と向き合い続けることが生きる姿勢の基本であり、その姿勢は相手を想う優しさになる。今更ながら「アルジャーノンに花束をダニエル・キイス著)」を読んだ。この小説の主人公は優しさとは何かを教えてくれる。

 

 

 

今日もひとり夢をみる

人に趣味は何かと聞かれた時に、「寝ることが趣味です。」と答えている。そうしていると送別会のプレゼントとかでクッションや枕をもらう機会が多くなり、大小さまざまなクッションが部屋に転がっている。大学の後輩が部屋に泊まりに来た時には、置き土産に寝袋をもらった。休日にはゴロゴロしていることが幸せなのだ。何も考えず、ひたすら眠りたい。が、考え事は尽きない。

 

考え事をしている時、その時間は僕にとって苦しい時間なことが多いと思う。性格だから仕方ないけれど、この年齢になったからか、自分の考えの根底になった「~しなければならない」「~の方がよい」という発想は人間の芯ではなくて、ただの思考の偏向性であると自覚できるようになった。すると少しずつ心が自由になって、今なら何でもできそうな感覚がもてる。頑張ろう。

 

人は多くの時間を眠ることに費やす。そして夢を見る。活動的な時もあれば、落ち込み、悩み、眠る時間があって当然なんだ。この人生の眠りの世界を幻想的に、しかし心の動きは精密に描写した作品。「白河夜船(よしもとばなな著)」。他人の夢の話なんてつまらないと固定観念に努々とらわれないように。

 

 

白河夜船 (新潮文庫)

白河夜船 (新潮文庫)

 

 

 

 

2017年6月第4週

今週は梅雨だの言うのに晴天日が続いた。

 

仕事ではプレゼン資料をまとめあげたり、先輩に任せていた仕事を久々に自分でしたりしたものの、いつもよりのんびりとした週だった。上司へのスルーのレベルが日を追って高くなっているのは、自分でもよくない印象だなと気づきながらも、そのまま。朝晩の通勤時間は読書とSNS(メモ程度の日記)に充てていたのを、朝の通勤は読書とキャリアパスに関する準備、晩の通勤はブログの推敲へと変えた。勤務時間中に自分のしたいことができていないので、せめて通勤時間くらい好きなようにインプットとアウトプットをしたいと思う。

 

週末は髪をカットし、店長からビールサーバーを頂戴した。それと、かねてより行こうと持っていたサウナへ。カラスの行水ということもあり、行くのは億劫になっていたが、脚の疲れがとれないのもあり、ついに行くことに。マッサージと比べればワンコインで身体のメンテナンスができるのはよい。今回訪れた銭湯は地元民でにぎわう昔ながらの銭湯で、自分にも行きつけの銭湯があったらいいなと思いました。肝心のサウナは小さかったけど、混んでなかったので3分×4セットを完了。また行きたい。

 

料理もトライ。チーズのディップとバケット、ナスと豚肉のスタミナ丼、夏野菜のスープカレー、アッシェ・パルマンティエでした。ドエルのフルーツロールを家族へのお土産にしました。

 

doel.co.jp

 

いつか去るその日まで

 

死を日頃から意識している、または死ぬことを前提に生きている人間は少ないだろう(死にたいと言っていても、心の底は違う人が多いと思うので)。いつか死ぬことを理解してもパニックにならないよう、精神構造として死を意識しないようになっているらしい。

だが死は身近なものだ。僕のいる小さな部屋の外では、今日も交通事故も多発、病気で死ぬ人、自殺、海の向こうでは戦争、飢餓。それなのに自分はまだ明日も明後日も生きているんだろうと信じ切っている自分がいる。ただ家族が病気になり、当たり前にいる一人の人間の存在が欠けるかもしれないと知ってから、ようやく生きることの素晴らしさ(感謝すること)を学んでいるように思う。

一期一会。人との出会いも、次の日の朝がやってくることも、ただありのままを大切する。そう考えると、人間関係やキャリアとかの自分が思うカタチと現実のカタチの差に対する自分の悩みが小さく思えるようになった。今日もおいしいご飯を食べて、友達に連絡をとって、ひたむきに働いて、趣味の時間を作って楽しく過ごそう。

 

この人の作品は大事に読み深めたい。「デッドエンドの思い出(よしもとばなな著)」。

 

 

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)