ネコと魚の間には

不器用人間がまっすぐに生きるために日常の出来事に考えを巡らせるブログ

無理なときもある

落ち込んでいる時に、病んでるだとか鬱だとか言ったりするけど、医学的な見地からすれば問題ないんだろうなと、思うことは多々ある。最近もずっと塞ぎ込んでいて、何とかなくウェブ上の鬱診断をしてみたら、重度の鬱と診断されてしまった。それでも1日の中で気分の上下もするし、本当は違うと思ってしまうんだけど、どうなんでしょう。少し吐き気があるのは、鬱の性じゃないよね。。。

 

鬱でもただのセンチメンタルでもいいけど、こんな時の気持ち、特に一瞬でも前向きに思えた時の感情を言葉にできないだろうか。そんな詩心はないんだけど、そんな風なことがいつかできたらいいな。

 

僕は言葉を額面どおりにしか読めないんだけど、本当は色んな感情や伝えたいメッセージがあったりするんだろうね。今まで読んできたのに、スルーしてるなんて、ほんと損してるのかもしれない。

 

当面はシンプルで。

独りになる

最近考え事が煮詰まってきたので、少しだけ話を聞いて下さい。そんなにお時間は取らせませんから。

 

お盆に実家で甲子園を観戦しました。大阪桐蔭高校が9回でエラーし、そのまま破れる瞬間を見てました。素人の僕にも、二度目の春夏連覇という史上初の快挙を逃したのは、エラーをした選手の初歩的なミスのせいだと思いました。エースを温存したまま敗退し、不完全燃焼だったはずです。しかし彼らは共に泣き、健闘を讃え合っていました。納得する為にそうせざるを得ない部分もあったかもしれませんが、それまで重ねて来た努力とチームの団結力から自然と出たものだったのかなと感じました。それでもチームメイトが仮に緊張してていつものプレーが出来なくても、代わりにプレー出来ない。背番号を背負ってマウンドに立つ者の孤独。

 

少し話が変わります。

 

僕は一年半前から病気なった親の介護をしています。それも難病で、発覚した当時は不安と悔しさとで、僕が泣いてしまいました。生活のサポートのために親と一緒にいる事も多くなりました。自分の心配よりも、痛みや不安を我慢しながら、慣れない家事をする父や僕を見て心配しています。それでも堪え切れず涙することもあり、何とか励まそうと言葉をかけたり、美味しいものを買って帰ったりすれば、その場は落ち着きますが、根本的な不安は取り除けない。自分で病気と向き合いながら、生きて行くしかないんだと、家族であっても、そう思います。

 

私たちの生活は、例えチームプレーというものでも突き詰めれば個人の行為だし、自分の意思です。助けになりたくても代わってあげれないし、かく言う僕も助けて欲しくて励ましをもらえても自分で乗り切るしかないだという現実を突きつけられる日々。頑張っても結果は同じなんじゃないかって、これが自分の運命だって思ってしまう。そうして少しずつ、前向きな言葉の効果も効かなくなってきている。

 

こんなことを相談しても、それが普通だから我慢しろ、自分で何とかしろと言われるだけ。

 

孤独なレースは続いて行く。ミスチルかよ。

我慢しない賢い頑張り方

頑張るにも、ポジティブな頑張り方とネガティヴな頑張り方があると思うんです。

 

僕が頑張るという言葉を使う時は、大体追い込まれた状況です。その事は誰にも言えません。良くない想像を何度も繰り返し、負の連鎖から抜け出すのに時間がかかっています。今回は一年以上です。悩む時間が短くなれば、色んな事ができるかもしれないくらい、長い時間です。

 

こんな時、救いになるのは友人の存在ですが、今身近に甘えられる友人がいません。僕の場合、要らない時に見栄っ張りになってしまい、人に相談することに高いハードルがあることが深い墓穴掘ってますけど。あと、言っても解決しないって決めつけてしまう。だから言わない。我慢したところで解決するわけでもないことは最近気づきました。

 

悩んでる人や鬱気味の人を励ます時に、頑張れはタブーなんだそうです。でもそれは伝え方と伝わり方の問題でないかと。僕はやっぱり友達や家族から頑張れって言われたら、1人でないって心強くなれたり、安心できたりする。自分のことしか見えなくなるのは仕方ないけど、人の心遣いまで見えなくなると苦しいだけだ。心の柔軟性。

 

だから、この先も頑張らないといけないのが現実なんですが、もう少し気楽に頑張りたい。しなければならないとか、できなければ失敗するとかじゃなくて。そんな頑張り方ができれば、色んなことがプラスに働きそうなのになぁ。

絶望的な状況ですが味方は1人もいません

仕事はやりたくない事とどう向き合うかの修行。

病気はいつもの日常をどう残していくかの試練。

孤立はひとりでも強く生きる力を鍛えていく環境。

こんな言葉が出てくる自分は現代社会の生み出した根っからの社畜そのものなんだろう。

意味もわからず、醜く走って走って走って。

 

どれも自分で望んだ今ではない。

素直に身の上を相談できる人はいない。

だから本にネット記事にブログに、どうすればいいか書いてないか探している。

 

そうして心を立て直せたと思っても、ちょっとした揺れで簡単に崩壊してしまうから、もういっそそのままでいいやと思い始めている。

自分の終点はここまでだったんだって、今なら受け容れられるのに、また朝が来て、光に照らされる身体に浮かび上がる心の暗さを、もう何度も見た。

 

 

折れた足と潰れた肺で、まだ走らされている。

結婚して子供ができて、ボーナスでいい車と家を買って、インスタのなかで友達とニコニコするような社会共通の幸せ像というゴールに向かって。

 

僕はもう棄権寸前です。

 

2017年8月第3週

大雨の降った週でした。

 

仕事は研修と有給でほとんどせず。お盆前に大方片付けたので、やる気を使い果たしたのもあってか、精神的には落ち着いている。とりあえずやる事はやったし、辞めても一つの節目としても良いのではないかと。当初は悔しかったけど、もし自分の人生の本懐が失敗と孤独にあるなら、これが自然なのかもしれない。

 

週末は祖母に会いに行った。手術前だったけど明るく振る舞っていた。銭湯に行ったが混んでいた為リラックスできず。

 

料理は親子丼、チキンパエリア、トルティーヤゴーヤーチャンプルー、スイカのスムージー、温泉卵の素麺、ナスの炒め物、玉ねぎとオクラのサラダを作った。

 

さて、来週からどうしたものか。

2017年8月第2週

 お盆になりました。1年は早いです。

 

仕事の方は特に何もしてませんが、魚の養殖の様子を見学する機会がありました。アクアリウムを嗜むものとしては、とても興味深かった。フグの赤ちゃんが人工飼料食べてるのは驚いて、うちの豆助(アベニー)なんか乾燥赤虫すら嫌がるのに。相手の方も優しい方で良かった。

 

週末はお盆休みを頂き、のんびり過ごしてました。銭湯も3回行ったし、熱帯魚店も散策したし、ジムで筋トレもしたし。あと大学の後輩と呑んだり。家の事はゴタゴタしてるけど、やっぱり家が一番落ち着きます。

 

料理はサンドイッチ、そば飯、トマトと卵のスープ、冷奴、梨のスムージー、キウイのジュースなんか作った。あとアンシャンテのイチジクケーキを頂きました。

枯井戸に水を湧かせましょう

やる気が出ない。仕事のやる気、人付き合いのやる気、趣味を楽しむやる気、家事のやる気。それら全てが枯れた井戸のようになっている。一年前はモチベーションアップの秘訣なる読み物をしていたけど、今の枯れ具合では如何なる処方も結論あまり変わらない気がして、ブックマークも用なしとなっている。

 

こんな時、足りていないのは生き甲斐ではなく、承認欲求とか愛されたいという気持ちが根源にあるように思う。大切な人の役に立っている、生涯通じて価値があるのは誰でもなく自分なんだって確認がしたくなるのは、問いより答えを先に作ってしまうような、結論ありきな小説を読ませるようなつまらないことで、このもぞもぞした気持ちあっての人生なんだろうな。気持ち悪いこと書いたけど。軽い言葉でいうなら、チヤホヤされた時は悪い気持ちではないけど、他の誰かがチヤホヤされるとなんで自分じゃないんだっていう気持ちが少し出てしまう時の気持ちかな。

 

 日常に新鮮さが足りない。とりあえずフレッシュジュースを飲もう←違う

毎日が新鮮に感じれたら、こんなこと考えないんだろうな。